2010年6月16日水曜日

修験道の世界

大峯の深仙に、西行の歌碑があったりする

「深き山に すみける月を 見ざりせば 思ひ出もなき わが身ならまし」
(深き山の中である深仙に澄んでいる月を見なかったならば、思い出もないわが身であろう)

西行は当時どんな宗教感をもって大峯を訪ねていたんだろうと思い
これを読んでみた。



武家からの出家、そんなことが許された時代。
苦行すれば極楽浄土へ行けるなんて話が信じられていた時代。
今から思えば特異だが、そもそもブッダはなんて言っていたんだ?
と思い、これを読んでみた。



精神面では、現世の苦悩からの解脱を良しとしながら、
現実には、最低限の托鉢で生命を維持すると云うのは、
人間生活の全体すべてをカバーする考えではないと思うが
心の支えになる、多くの人に受け入れられた一つの考え方なんだろう。

それじゃ、ほかのメジャー宗教は何と言ってるんだ?
と思い、これも読んでみた。



キリスト教、仏教とは少し時代が新しい一神教。
法律と一体化しているところが生活と密接していて強固だ。

0 件のコメント: